検索結果に表示されない 現実世界でも存在しないと認識される理由

プライバシー

 

こんにちは「ぐちゃねっと」のGabunomiです。

 

世の中は検索結果に無い情報は現実社会に無いものとして認識されつつある。逆にリアルには実在しない情報でも検索結果に載れば実在すると思うかも知れない。

 

これは別にネットに限らない。既にご存知のようにTV・新聞ではフェイクニュースが蔓延しているが、もし仮にネットで今後そんな動きが出てきたらと思わずにはいられない。

 

ビッグデーターからキーワードを探す日々

貴方が現在住んでいる町に「飲食店」があったとしよう。「とても美味しく地元では相当有名」だが、一見さんのお客さんは殆どこない。残念な事にその飲食店は私は知らない。

 

次に同じように「飲食店」が貴方の町にはあるが、それ程「美味しい」という程でもなく地元では普通のお店と分類される。しかしそのお店は良く繁盛しているし私も知っている。

 

なにがこの2店の差なのだろうか?現在の世の中では、当然の如く検索結果による情報発信が出来ているか否かの問題である。

 

口コミ 評価がない少ないのは怖い 勇気がいる

私もスキーに良く行くがやはり「口コミの無い・評価の少ない」民宿に宿泊するのは少し勇気が要るのは事実だ。

 

また周りの宿が満室でもない限りネット情報に載っていない宿に泊まる事は相当勇気がいる。(観光協会には情報は軽く記載されているが内容は良く判らない事が多い)

 

一度宿泊してみれば「とても良い宿」だったとしても、予約するにあたり、あと一歩がなかなか前に進まない。本当に「ある意味悲しい世になってしまった」と自分を特に振り返り思う。

 

手の中にある、スマホで検索をすれば大体の事は調べ理解し選択できる。しかしなかなか本当の情報と云うものは判らなくなってしまった。

 

チャレンジ精神が検索で無くなった

これは検索出来るからこそ、こんな行動に出てしまう。取捨選択をし、もっと良いであろう場所を探すからだ。チャレンジ精神が少なくなってしまった。これでは聡明な飼われた羊だ。

 

先に述べた飲食店や宿の例でもそうだが、とても美味しくても地元のみが知る場所もあるし、それ程美味しくなくても実際に「大繁盛」している店もある

 

私自身も、遠方に出かける前などで下調べをする事はあるが、なかなか本当に美味しかったと言える情報に出会った事がない。

 

これはとても残念だ。ワクワクとチャレンジ精神が無くなってしまった。

 

情報の渦に 知りたい事が知れない世の中

現在のインターネットは爆発的に情報を発信できるようになった。私とてお会いした事も、話した事もない方に、記事という媒体で情報を発信できている。

 

これはとても素晴らしい反面、検索する側にも本当に、何が本当の情報なのか?サイト運営者と自分は感性が似ているかを「知る力」が相当に必要とされてきている。

 

私のスキー場レビューでも、私の感性と他人の感性が全く異なる場合は「180度評価」は違う結果になるし、こればかりはどうしようもない。

 

また、少しの情報を掻い摘んで全部を知り得たかのような「錯覚を起す」のもこれまた仕方がない。

 

まとめサイトにうもれる情報

今後、ネットと云う情報世界は「ハーメルンの笛吹き男」に為ってしまわないかと実は恐怖している。

 

現在のネットを見ると、キュレーションサイトが幅を利かせ苦労して書き上げた内容をほぼコピペし、まとめとして大手がネットに情報をばら撒く。

 

検索してその情報がトップページに出て読んだ人は「あぁ~こんな内容なんだ」と納得する。しかしオリジナル記事を書いた人が本当に伝えたい所は「そこ」ではない場合が殆どだ。

 

オリジナル記事の思い 情報操作の怖さ

オリジナル記事はストーリーがある。上手い下手は別として流れの中で「言いたいキーワードや伝えたいフレーズ」が必ずある。しかしまとめにはそれが無い、と言うより薄くなる。

 

特にキュレーションサイトではそんなオリジナルの事など御構い無しだ。しかしアクセスはあるもんだから世間にはある程度認められる。

 

そんな内容ばかりのネットになればいつかの時点において「ハーメルンの笛吹き男」による世界情報誘導が行われないかと本気で心配している。

 

気にしすぎだろうとも自分で思うが、そんな一面性を持ち合せている時代だという認識も我々には相当必要である。

 

検索結果に表示されない 世の中に無いものと同じ

とてもとてもジレンマがある。私もブログと云うものを始めてみたけれど記事を書く苦労と楽しさを身に染みて感じる事ができた。

 

この事は、私にとってとても良い経験だと感じているが、反面「検索結果」が全ての世の中に収斂(しゅうれん 一つに纏まるの意)されて行く事の怖さと、致し方ない事実に困惑している。

 

誰か1人が「これは違う」と叫んだ所でこのビッグウェーブは変わらない。支流では流れが変わったとしてもそれは意味の無い変化だと諦める他ないと思う。特に情報が埋もれるこの世界では…

 

だが、叫び行動する事も時に大切だ。実は何かの時代変化がある時は「名も無き者」が世界を時代を変えている。名家や権力者が変えるわけでは無い。

 

いつの世も「名も無き者」によって変化する。

 

ネット明瞭期は楽しかった

話は戻るが、ネット明瞭期(出始めの頃と云う意味)には様々なサービスが雨後の筍(うごのたけのこ)の様に出ては消えた。そしてとても楽しかった。

 

検索エンジンにしても「Infoseek」「Yahoo! 」「Lycos」「Excite」など独自アルゴリズムを備えたものが様々あったが、時は流れ「Google」が全てを掌握し収斂させた。

 

現存しているサービスも多々あるが、「ネット=Google」と私が言っても、世間も世界も異論は無いはずだ。

 

逆に私が「ネット=docomoだ!」などと言えば、この人には常識はあるのか?と疑われる程だ。それ程、情報は収斂されている。

 

ネット神はGoogleで間違いではないが…

Googleは全てのサービスがとても便利だ。ネット神はGoogleと言っても間違いではないと思う。

 

渋滞予測にはGoogleマップを

販売価格の高い、車専用のカーナビは現在は販売が落ち込んでいる。また渋滞情報をカーナビに表示するVICSよりもスマホの渋滞情報の方が全体を見渡せるし情報が早い。

 

そう、Googleマップを見る方がとても便利だ。

 

ブラウザはChromeで

ネット世界ではビッグデータを生かした広告も配信される(私もしているアドセンスだが)ブラウザも世界標準でChromeが多く使われている。

 

GmailもGoogleドライブも

ブラウザから直ぐに起動できるGmailも相当な人が使っている。クラウドとしても大切な情報をローカル以外に保存するには無料のGoogleドライブがとても便利だ。

 

そう、Google Chromeやその他Googleのサービスはとても便利だ。

 

一つに集約されていく世界

何度も書いて申し訳ない。全ては収斂されている。今後はより先鋭的になり、より営利的なネットの世界になってしまうのだろうか?そして一つに集約されていく世界になるのだろうか?

 

アドセンスを貼りながら私が言えた義理では無いのかもしれないが、ワクワクした世界が昔より無くなってしまったと思うのは年のせいだろうか?

 

便利な事はとてもありがたいが、世界中の情報がここまで収斂されている現在「情報破壊や破損・誤情報が大発生した時」人はどのように動き、どの様に対処し、どの様に解決するのだろうか。

 

そんな事はないと言えるだろうか?既にAIがブログを書き、研究結果を論文として出す時代である。まさかそんな異常事態の時まで我々は検索をする毎日になるのだろうか…

 

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