安楽死・尊厳死「生きるも地獄死ぬも地獄」出来れば法整備をして欲しい

生き方

 

自分で死ぬ場所 時を決めれない 無念

こんな事を書いても良いのか?と思いながらも身近に感じる出来事があった為、勇気をだして記事にしてみた。

 

先に言っておくが「全力で生き抜いた」最後の時の選択肢が自分に無いと言う事への無念さで記事を書いているので、ご理解宜しくお願い致します。

 

日本では安楽死も尊厳死も合法ではないが出来れば法整備を急いで欲しいと私は個人的に願っている。

 

特に「治療不可能」な場合と「高齢者」では自らの意思で「選択肢」が与えられる事を望む。

 

ありがとうと家族に言って最後を迎えたい

安楽死も尊厳死も言葉は違うが必ずリンクする意味を持つ。この2つの法整備を「治療不可能」な場合と「高齢で本人の意思があり基準を厳正にした上で」の場合にのみ適法な整備の形を強く望む。

 

私はまだ若いからこの様に考えるのかもしれない。もし自分が「末期ガン」になり、もう治療も回復も見込めない状況で、ただ一日でも長く生きる事が人間の在るべき姿なのだろうか?

 

ガンは苦痛を伴う。もし自分が回復を期待できない状況になったら、余命の1ヶ月前位まで家族と生活をしながら最後は「ありがとう」と言って安らかにこの世を去りたい。

 

自分が仮に100年も存命したとして「意識がしっかり」しているのなら自ら尊厳死を選択をしたい。

 

意識がはっきりしている場合は恐怖する

この言葉は意外かもしれないが「超高齢」になって意識がはっきりとしているという事は「逆に恐怖」でもある。「認知症」の人よりも恐怖かもしれない。

 

動けない自分、何も出来ない自分、ただ弱っていく自分を考えた時に「それでも頑張って生きる」しか方法はないのだろうか。

 

本当にそれは人間らしい生き方なのだろうか。それぞれに事情も考えも違うから一概にこうだとも言える話しでは無いのは良く理解しているつもりだ。

 

しかし本人に「選択肢」もなく、ただ長生きさせる事が果たして「本当の治療・医療」なのかと最近特に思うようになってきた。

 

子供「死」とても恐怖 大人「死ねない」ことも恐怖

この話題は哲学的でもあるし医学的でもあるかもしれない。小さな子供時分は確かに「死」を恐怖した。あれもこれもやりたい。夢も沢山あった。まさにマイワールドだった。

 

いや現在でも、もし仮に「明日までの命」と言われれば必ず恐怖するだろう。ただその恐怖の感情・ステージや捉え方が子供とはかなり本質的に違う。

 

自分の事だけでなく「家族の生活」今後の「子供の行く末」などを案じてやまない自分がその場面にはいると思う。

 

多分自分の命の事は「二の次・三の次」になっているだろう。だから私は安楽死と尊厳死を認めて欲しいと願う。

 

家族に精神的・肉体的・金銭的負担が

もし「脳死」などになり「臓器提供カードに記入」をしていなかった場合には、家族に多くの肉体的・精神的・金銭的な負担を掛けるだろうし、生きているのか死んでいるのかさえも判らない。

 

私は「臓器提供カードに記入」をしているが、これも自分の事よりも家族の事を思えば「スゥー」と逝ければ思っている。

 

どんな病気でも、夢や希望が本人にあれば目標や生きる力は芽生える。時にそれは「健康体」よりもキラキラしているのだろうと思う。

 

しかし、絶望的な「超高齢」と「治療不可能」な場合はどんな気持ちになるのだろう。身近に感じる事があったからこそ私は「深く悲しんだ」

 

「生きるも地獄」「死ぬも地獄」最後を決められぬ

勘違いされては困るので改めて申し上げるが、私は自らの命を投げ出すような事はして欲しくないし、私自身もするつもりは毛頭ない。

 

この事は子供にも家族にも強く願うし、そのような教育や環境にはしていないと自負している。この世の中「生きてこそ」楽しいはずだからだ。

 

ただ何事にも「引き際」がある事は知っている。その人生で一番と考えても良いとても大事な「引き際」を自らの意思で決めれぬ事が残念で無念だ。

 

本当に「治療不可能」な場合など「激しい苦痛」の為に生きる姿は誰の為になるのだろうか?

 

治療とは名ばかりの延命は不要

ただ周りを困惑させ、治療とは名ばかりの「苦痛のみに生きる」そんな事は誰が望んでいるのだろうか。

 

だからそんな状況になった場合だけ、何か「基準を厳正にした上」で適法である事は無理なのか。

 

書いていても「纏まらない文章」で申し訳無く思う。自分がその場面に来た時にはやはり違う「想いが湧き出る」のだろうか?まだまだ先なようで実はそうでは無いかもしれない。

 

金持ちになる!NYダウ・日経平均の株価暴落を喜べ 予想予測は無意味
2018年ダウ平均株価がまたしても暴落している。世間ではエリート達が何故何故と分析をしているがその本業である人間達もわからない事を我々一般人が知ろうとする事は無理だ。そんな事よりも大暴落を喜べ。世間に悲壮感が蔓延した時、ボチボチ動けばよい。やっと恵みの雨が来たようなものだ。

コメント

テキストのコピーはできません。