承認欲求の物欲(サービス)は大変危険だ 貯金が底をつく

投資関係

 

資本主義で生きて行く為には、必ず「金」が必要になる。好む好まざるは別として必ず金は必要になる。すこし今回は言い方がキツイので気を害されないようにお願いしたい。

 

今回のテーマはあくまで「承認欲求」と「金」の関係だけの記事だと十分に理解してお読み下さい。

貯金が出来る人 出来ない人の差

資本主義に於いて「貯蓄」「貯金」だけが大事ではないが同程度の収入であっても「金が貯まらない人」と「貯まる人がいる」

 

「貯金が出来る人」は「貯金が出来ない人」の事が理解できない。

また逆もしかりで

「貯金が出来ない人」は「貯金が出来る人」の事が理解できない。

 

同程度の収入であっても、この差は一体なぜ発生するのか?

 

承認欲求からくる物欲は、いずれ自分でコントロールが出来なくなる

 

当然なのだが、不要なものを買う人は金が貯まらない。しかし金を貯める事が人生の全てでは無いので「程度の問題」で済むはずだ。何かの対価を人が受ける時、人は「嬉しく」なる。

 

彼女にプレゼントを購入してもそうだ。子供にお菓子を買ってあげてもそうなる。この場合の対価は「彼女の笑顔」でもあったりするし「子供の笑顔」でもあったりする。

 

そして購入する自分の行為そのものも「嬉しく」なり目に見えない心の充足をも達成する。

 

人は「楽しい事」「嬉しい事」にその多くの対価を払う。これは当たり前の生き方だし、そうでなくては生きている意味など無い。苦しい貯金生活で身も心も疲れ果てればそれこそ本末転倒だから。

 

しかし1つだけ絶対に気を付けた方がいい場合がある。

 

金を使う事が快楽に 見栄をはる

それは「承認欲求」から発生している物欲の場合は十分に気をつけた方が良い。

 

どこかの洒落た場所に行けば、どこか高級レストランに行けば、どこかセレブリティーな場所に行けば、当然お金は消えていく。物であれサービスであれ、その対価としてお金と交換しているのだからこれは正常な行為だ。

 

しかし、「承認欲求」が強く発生した場合はそうではなくなる。他人から認められたいと思う気持ちが強く出すぎて、「不要な物を買う」「不必要な場所に行く」「身の丈に合わない行為をする」などの弊害が出て来る。

 

この場合の行為はとても危険であると考えた方が良い。

 

なぜなら、金を使う事で快楽を得ていると考えて良いからだ。

 

程度の差があれ、

「貯金が出来る人」は「承認欲求」が少ない
「貯金が出来ない人」は「承認欲求」が多い

とも言い変えれる。もっと昔から言われている言葉に置き換えたら分かり易いのではないだろうか?

 

それは「見栄を張る」という言葉だ。

 

見栄を張る人ほど、金は貯まらない

「見栄を張る」これ自体も何も悪い事では無い。小さな子供から大人まで、果ては死ぬ間際の老人でさえ、その時々で出来る限りの見栄は張る。

 

言い換えれば「人間のプライド」とも取れるし「人間の優しさ」とも思える。見栄が無ければ人は誰かにすぐ「すがる」だろうし、すぐ誰かに物乞いもするかもしれない。

 

地道な努力など不要だった

少なからず、人は見栄を張る事で相手に対して自分を確立していくし、死ぬまでその行為は行われる。身の丈にあった形での見栄はハッキリと言えば人間らしさを保つのに必要である。

 

誰かに認めて欲しい場合にはまず努力が必要であるが、その努力のおかげで何かに成功したりする。これは小さな事でも何でも良いが、地道な努力などをしなくても人を直ぐに認めさせる方法がたった1つある。

 

それが「承認欲求」から来る物欲だ(物欲とは実質の物だけに関わらずサービスも含む)

もうおわかりだろうが、この「承認欲求」から来る物欲の場合は金は絶対に貯まらない。

 

認めてもらう為に金を使う 実は悲しい気持ち

 

私自身も一度そのような状況に陥りそうになった事があった。人生が上手く行ってないと思えた時に誰かに認めて欲しかった。その行為自体はとても簡単だった。ただサービスを求め金を使えば良い。

 

その金が本人に必要か不必要かなどそんな事は関係ない。金を使う事で周りは自分を認めてくれた。くだらない愚痴さえも黙って話を聞いて頷いてくれた。そんな周りを喜ばす為に意味もなく金を使った。

 

金を使えば良い気分にして貰えたし、その間は気分が良かった。

 

社会に認めて欲しい 誰かに認めて欲しい

そしてその時だけは、少し社会に必要とされ貢献していると勘違いする事もあった。いつも心に虚しさ(むなしさ)を同居させながらも。

 

誰かに認めて貰う為に金を使うのだから、金を使い続ける事でしかその欲求は満たされない。

 

私は、元々がこんな考えだから幸い承認欲求の呪縛からは直ぐに脱する事ができた。しかし現在でも脱する事が出来ない人も多くいると思う。

 

悲しい事にこれは現実の問題としてこの世に蔓延しているし、金さえ払えば誰もが誰かに認めて貰える。こんな単純な行為だがとても恐ろしい事だ。資本主義の現実と根幹が此処にある。

 

人は誰でも弱いし、他人から見れば何でも無いことだとしても精神的に支障をきたす場合もある。これは現代が高度情報化社会になってしまい「まったり・のんびり」を許容する社会で無くなってしまった事も起因するだろう。

 

もし、自分の行為を見返してみて「見栄を張り過ぎている」と思う節があるならば、今すぐにその考えを捨てて改めて欲しい。

 

生きていく為に必要なのは「周りに対しての過剰な見栄」ではなく「誰かのささやかな笑顔」だと私は思う。

 

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